精神と歩行、ミクロとマクロ経済、プーさんとスピード
今年の〆魚料理は「鮮味楽」さんでした。
ゔ~うまかった!!!
今日はこの1年の気づきなどを少し振り返りたいと思います。
最近読んで興味深かったことに
横井庄一さんのカルテに記された医療チームの総括があります。
横井さんが28年間ジャングルで生き延びたのは
「比較的年長者で、素質的に要求水準が低く、素朴な宗教心があったこと」
過酷な環境で生命の糸を繋いだのは
肉体的要因ではなく「精神」のあり方
と当時の科学は結論しています。
今年、仕事において
この「精神」と歩行の関係をよく考えました。
年々高齢化が進み、高齢化が及ぼす歩行への影響に
対応を迫られることが多くなったからです。
画像診断上問題なく基礎疾患がないにもかかわらず歩行困難になってしまう方
また、両脚の股関節が破滅的に変形しているにも関わらず
90歳を超えても歩行が可能な方
何が違うんだろ?っと考えると
「気合い」です。
歩行に関しては比較的詳しい分野なのですが
10年以上前に読んだ本の冒頭に
歩行においてまず重要なことは
本人の「歩きたいという意思」という記述がありました。
この本の著者は歩行学の権威なのですが
この記述に最近まで納得していませんでした。
オリンピック選手や上記の横井さんのような特殊な例では
肉体に精神のあり方が強く影響することは承知していましたが
一般的な治療において
退屈で苦痛なリハビリを続けるモチベーションが必要で
よほど酷いケガでもない限り
「意思」より身体的要因の優先度が上位になると考えていました。
しかし多くの歩行改善・訓練ケースを通して
特に高齢者の歩行においては
この「意思」の力が非常に重要であることを知りました。
解剖学・生理学・運動学・筋肉連鎖・バイオメカニクス…
歩行が脳の現象であることを切り離して考えても答えは出ません。
人は年を重ねると
北斗神拳伝承者やJOJOのスタンドのように
精神が肉体を凌駕するんじゃないか?
年をとった体の状態を特殊な環境と考えるとどうだろう?
極論、
「歩きたいと思えば歩けるし
もういいやと思えば歩けなくなる」
なんだかギリシャ哲学の問答のような言い回しですが
これが今年たどり着いた結論です。
喜びや悲しみの一部は
筋肉と同じく電気的にとらえることができ
セロトニンやドーパミンといった化学物質は感情を左右する。
「心や精神」と呼ばれてきたものを
少しづつ物理的にとらえる事が可能になってきています。
心はそんなんじゃない!
と反論をあびるかもですが
「魂」という霊的存在を言っているわけではありません。
丹波哲郎は死後の世界を熱く語り
立花隆は人間の霊的存在について否定的
ランボーは
「俺の心と魂の一部が途中で道に迷ってしまった」と言ってたし
アンディー・ウォーホルは
母親の死を「パッと消えた」と表現した…。
「魂」と言われると僕にはまだよくわかりません。
ちょっと話が脱線しましたが
高校生のころ従弟のアニキの影響で心理学の本をよく読みました。
フロイト、ユング、アドラー。
アドラーは分かりやすくユングの元型論は面白かった。
フロイトの精神分析入門は100ページくらいで眠くなって
今も本棚に並んでます。
この頃読んだ本に九大の池見酉次郎先生の本があって
これは感銘を受けました。
本のタイトルは忘れましたが
最初から最後までさんざん論理的に心理学の話を展開しているのですが
最後の一文が「結局のところ人を治すのは愛である」的な文章で結んであって
爆笑しつつ、高いレベルで学問を追求した人の行きつく場所が「愛」
ということに興味を持ちました。
先ほどの歩行学の先生もそうですが
学問の達人は治療において「精神」のあり方が不可欠
と結論しているわけです。
僕がこんな高みに到達できるとは思いませんが
来年はもう少し心や精神について勉強しようと思います。
そしてこの「心や精神」を考えるうえで
現代の科学的知見とともに
「キリスト教」という視点を持つのはどうだろう?と考えています。
税制に性善説・性悪説という思想的根源があるように
心と精神をキリスト教的視点で考えてみる。
僕らは日常的にキリスト教的価値観に結構触れているし
それを自然に受容している。
例えば映画をみると聖書の一節がよく登場します。
仏教の経典やコーランに触れる機会はほぼありません。
欧米の文学を読むうえで少しだけ学んだことのある「キリスト教学」。
資本主義の成り立ち
日本と欧米の移植医療の差
コロナ禍で触れたスウェーデンの人々の死生観…..
挙げればキリがありませんが
どれもキリスト教を排して理解を深めることができません。
信仰心とは別に、
「心や精神」を深く考えるには重要な視点なのかもしれません。
なので「キリスト教学」は来年のテーマです。
次にミクロとマクロ経済です。
恥ずかしながら
今まで経済本を1冊も読んだことがありません。
高校生の頃は経済学にまったく興味がなく
大学生になって東京都知事選挙の泡沫候補に興味を持ち
そのうち候補者の政策を比較するようになり
だんだんまじめに比較するようになり
結果、経済を少しづつ気にするようになりました。
なので新聞の経済記事読んでもよくわかりません。
例えば最近の10万円給付について
現金で給付すると貯蓄にまわりGDPに寄与しないのでダメ
という考え方。
GDPの定義は知ってますので
文字面を理解することはできるのですがどうもしっくりこない。
家電って数年の寿命なわけですし
そもそも今回の給付は子供のいる世帯が対象ですから
将来出ていくことが確定している貯金です。
遅ればせながら今年知ったのですが
マクロ経済学に「ISバランス」という考え方があって
投資と貯蓄の関係が研究されています。
タイムラグはあるものの
貯金が増えると銀行を経由し投資が増える
結果GDPを押し上げる効果がある。
ハッとしました。
経済欄の記事を自分で読み解くことができないのは
マクロ経済学がサッパリわかんないから
という事がよくわかりました。
パズルのピースがつながっていく感覚が面白いので
この勉強も来年のテーマとします。
ついでにもう一個ハッとしたのは
「中国がそれなりにうまくいってるのは
現代がスピードアップした世界になったから」
という記述を読んだことです。
共産主義については旧ソ連共産党のように
働いても働かなくても給料一緒だから
働かなくてウォッカで酔っ払ってたらいつの間にか国が崩壊した
というイメージがあったので
何で中国はうまくいっているのか興味を持ってます。
その答えの一つが先ほどの記述。
確かに民主主義の手続きは時間がかかるので
皇帝の一言で社会が動く仕組みは有利かも。
日本人から見るととても馴染まないものもありますが
「皇帝による資本主義」
今後もこのテーマは興味深い。
相変わらずまとまりもなくダラダラ書いちゃいましたが
書き終わるころにはほろ酔いで心地いい~。
今日は久しぶりにコート・デュ・ローヌの赤ワイン。
一本空きそうです。
なんだか雪が見たい!